ダービーでのハイセコーの活躍
競馬ファンのみならず普段は競馬をしない一般の人々からも人気を集め、第二次競馬ブームの前身となる、第一次競馬ブームと呼ばれる一大社会現象を巻き起こしたのが、ハイセイコーです。
当時、「輪島・江川・ハイセイコー」とスポーツ界の大スターとして世相を表す流行語を生んだほどの人気だったと言われています。
三歳の時に大井競馬場でデビューし、デビュー戦を8馬身差で圧勝して観衆を驚かせ、2着馬に平均9.3馬身という着差での大圧勝を続けたため、競馬ファンのみならず一般の人の間でも話題に上るほどでした。
その後4歳時に中央競馬への移籍が決定。
移籍初戦の弥生賞、スプリングステークスといずれも、レース内容は地方に居た時のような圧倒的なものではありませんでしたが、1番人気に応える形で勝ち続けました。
その後の皐月賞では圧倒的な1番人気に支持され、レースでは積極的な走りで第3コーナー地点で早くも先頭に並びかけ、クラシック初戦に勝利しました。
その後ダービートライアルのNHK杯でも最後に鋭い伸びを見せて勝利を収め、デビュー以来10戦10連勝を飾り、日本ダービーでは単勝支持率66.7%というダービー史上最高の、圧倒的な1番人気の支持率を獲得しました。
レースは直線で一時は先頭に立ったものの、その後ライバルとなるタケホープから0.9秒離された3着に敗れ、増沢騎手が「人気がありすぎて、大胆な追い込み作戦が取れなかった」と敗因について述べているほど、やはりダービーで勝つことは難しいということが改めて証明されたのです。
現在の競馬と比べて、このハイセイコーのローテーションは詰め込みすぎとも言えますが、いずれのレースも勝利の為の調整と仕上げをしていたと言われており、結果としてレースに使われ続け疲労が蓄積していた事や、血統が短距離血統だから距離適応の限界が露呈したのが敗因という見方が多く示されました。
社会現象を巻き起こしたほどのハイセイコーの活躍で、当時不振だった競馬界は注目を浴び、その後ローテーションなどの見直しも次々に行われていくようになったのです。